Recto|Verso

Le mode recto verso is an idiomatic expression in French that means "two things are basically the same, or that they are different but closely related"

いつか、また、どこかで。

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私が今の仕事を始めたのは2005年。ブログサービスやmixiが全盛期。そしてアバターサービスは沢山あった。カフェスタ、セイクラブ、ジェンガ、Yahoo!アバター… いつの間にか全て終了してしまった。 

そして8月30日に、この仕事をここまで続けることができたきっかけになった、作り上げていたサービスがクローズする。


あの頃に比べてインターネットの世界もずいぶん変わってしまったのはTwitterFacebookが台頭してきた2008年、2009年頃からかもしれない。 

悲しい? 
悲しくは、ない。 

ただ、自分が必死になってがんばっていたことが 
あっけなく消えてなくなってしまう時のこの感情は何ともいえない。 

「勝てば官軍」というシビアな戦場で、 
8年間戦い続けても中々勝利の法則は分からない。 

実名で繋がるサービスというのはビジネスとしての目線では非常にマネタイズしやすいかもしれないし、イベントや同窓会のようなツールとか、仕事をオンラインで見つけたいなど何かの目的がある場合には良いかもしれない。 ただ、ソーシャルグラフといいながら、実際はリアルグラフの延長でしかなくて、最終的にオフライン上の人間関係にとらわれてしまい、それ以上にシナプスを生むようには思えない。

私はアバターサービスというものにソーシャルグラフは必ずしも必要ではないと考えている。 
それは「自分のペルソナをアバターに投影し個々人が情報を発信する」という行為をより客観視できるツールとして場が提供されていること自体が手段としてあって、それが目的ではないからだ。

そこで生まれる新しい関係、性別や年齢も意識しないで話ができる空間、というものに対し「異空間」を感じ、新しい人間関係ができるということに対して非常に面白いと思ったから。
正直言えば一歩間違えば「出会い系」には変わりがないけれども、アバターという着せ替えツールで自分のビジュアルの願望を実現させて、日記を書いて、コメントや足跡でやり取りするというシンプルな構成が私は気に入っていたし、普遍的にあり続けてほしいと思っていた。

ただ、それがもてはやされる時代ではもはやないのかもしれない。 
また10年くらい経ったら、リアルで話す欲求に飽きた層が「こういうサービス逆に新しいかも」といって、復活するのかもしれない。 

その頃になったら、また、会いましょう。